2015年8月1日土曜日

あれから二年…まだ生きてるよ(笑)


会社を辞めてから約二年、現在の僕は、毎日こんな格好で出掛けています。
そして、この格好で電車に乗ってます。

平日の朝からこんな出で立ちで電車に乗っていたりするので、会社勤めされている方達からはきっと『こいつは一体何で生計を立てているのだろうか?』と思われてるだろうな…って感じになるわけです。
僕が毎日スーツを着て電車に乗って仕事に出掛けていた頃、今の僕のような格好をしている人を見てそう思っていたので、きっとそう思われているはずです。
まぁまぁ、見た目などもうどうでもよい話です。

2年前の6月まで、僕は社員30名ほどの小さなIT関連の会社で役員をやっていました。
役員と言えば聞えだけは良いのですが、小さなIT企業の役員ですから大企業の役員さんたちとはまったく違う職業と言ってしまって差し支えなく、まぁそれなりな訳です。
人事に経理に経営企画、更にはシステムの開発作業のために現場にも入らないといけないという毎日を約5年間続けていました。
正直に言うと、その5年間はただの一度も仕事を楽しいと思ったことはありませんでした。
そこから離れて2年経った今でも…つい最近まで、その5年間の生活を楽しい思い出だったとは思えずにいました。
コンピュータのシステムを構築する仕事は大好きだったはずなのですが、最後の5年間は自分自身を負のパワーで動かしてきてしまったために、嫌な思いばかりが強く残ってしまったのだと思います。

"○○のために●●しなければならない"

こんな言葉を頭の中に思い浮かべながら、仕事や勉強に一生懸命取り組んでいる人はたくさんいるのではないでしょうか。
今思えば、親や教師や上司から、いつもこんなことばかり言い聞かされていたような気がします。
常識とか責任感とか世間体といった側面から見ると、この言葉はとても当たり前で大事なことのように感じるのですが…それはきっと、いつもいつも上からそう言われ続けてきたから、"○○のために●●しなければならない"と考えるようになってしまったのではないかと思うのです。
そして最終的には、自分自身が自分に対して、当たり前のようにそう言い聞かせるようになってしまうのではないかと…
そしてこの言葉の恐ろしいところは、○○と●●に入るワードによっては、自分を負のパワーで動かすことになってしまうということです。

"○○"に入るワードが"会社"、"取引先"、"上司","ローン"で、"●●"に入るワードが"残業"、"休日出勤"、"無理"…だと、もう何だか楽しくなさそうというか、とても辛そうな状況を思い浮かべてしまいます。な
それを楽しくてやりたくて仕方がない!と思うのなら、何の問題もありません。
それを好きなように続ければ良い訳です。
でも、それが嫌でやりたくなくて投げ出したい事だったとすると…心の中に溜まっていくのは、怒りだったり、悲しい気持ちだったり、自分を守ろうとする被害者意識だったり、空しいはったりだったり…実際にはそんなケースのほうが多いのではないかと思います。
自分の本意ではないことを何かしらの理由のために仕方なくやっいる・やってあげている…そんな心理状態で物事に取り組んでいる場合、その行動は負のパワーによって動かしていることになるので、決してその行動から楽しい創造が生み出されることはありません。
そして更に悪いことに、その行動は自分軸ではなく、他人軸で回っているケースがほとんどではないかと思うのです。
何年も何年も他人軸のテーマを負のパワーを使って回し続けていると、どんどん心が疲弊していきます。
疲れた心は頑なで、簡単には素直になることができません。
近くにいる人の意見を素直に聞くことができなくなって、周りに無駄に厳しくなって、どうでもいいものを守るために必死にになる…負のループにはまり込んでしまうと、そこから自力で抜け出すことは至難の業です。
数年前まで僕自身がそこにズボッとはまり込んでいたので、今でもすぐにその時の状況にインステイトすることができます。

まずは、自分の生活が自分の軸で回っていないことに気付くことが大切なのですが、日々の生活に追われていると、自分自身でそれに気付くことがなかなかできないのです。
何だかよくわからないけどうまくいかない…とか、毎日辛くて楽しくない…なんて思いながら日々の生活を送っているとしたら、それはきっと他人の軸で自分の生活を回してしまっているからなのだと僕は思うのです。

幸いにも、僕の近くにはそれを気付かせてくれる人、それを変えていくためには何をすればいいのかを教えてくれる人が何人かいました。
本当にありがたいことでした。
それは、そんなに難しいことはありません。
簡単です。

ゆっくりと他人の軸で回っている自分の行動、発言、日々の生活のスピードを徐々に緩めて、それを止める…そして、いらないものを片っ端から捨てまくる…
そこまでできたら、ゆっくりとゆっくりと自分自信の軸を回していく…
そして、それをどんどん加速させていく…やりたいことをやりたいようにやる…

それだけです。
簡単ですよね。

なんてことを書くと、「簡単なわけがないだろ? 日々の生活があるのにそんなことできるわけがない!」と、多くの方から言われてしまいそうです。
何を隠そう、僕もそう思っていました。
背負っているものがたくさんあるのに、この歳になって今更すべてを捨てて好きなことをやるなんてできる訳がないと…当たり前のようにそう考えていました。

でも…実際にここにいるのです。
やりたいことをやりだいようにやっている自分がここにいるわけです。
そうするまではありえないと思っていたのですが、それは思ったほど大変なことではありませんでした。
会社を辞めて二年が経過した今も、僕はしぶとく生きています。
贅沢はできないかもしれないけど、おいしい食事を頂いて、おいしい酒を頂いています。
そして、それなりの対価を得ていたIT企業の役員時代に比べて遥かに収入が少ない現在の生活をとても気に入っていて、大いなる幸せを実感しています。
こうなってみて初めてわかったことは、たくさんの金を得ることや贅沢な暮らしをすることが幸せに直結するとは限らないということです。
寧ろ、守るものだらけの生活の中では、幸せや安らぎを感じることがとても困難だと感じるのです。

じゃあ、一体何をどこまで捨て去れば自分を取り戻して幸せを感じられるようになるのかと言ったら…
それは、『自分が不要だと思うものすべて』なのだと思います。
長い時間を掛けて積み重ねてきたもの、守ってきたものが、実はどうしようもないただのゴミの山だったりすることもあります。
自分自身にとってそれが本当に必要なものなのかどうかをしっかり見極めて、不要なものであれば、それを思い切って捨て去る勇気が必要なのだと思います。
不要なものを不要であると認めて、それを素直に受け入れる勇気、永遠にさよならする勇気です。
それさえできれば、新しい本当の自分が必要なものをどんどん受け入れることができるようになります。
まず捨てることが先決です。
何かを得てから捨てようなんて考えていると、絶対に何も捨てることができないからです。
これが一番のポイントだと思います。

こんなことを言っている僕自身、気が付くとまた他人の軸で回り始めかけていたりするので、油断はできないのですが…一度このことに気が付けば、決して元に戻ってしまうことはないと思います。

僕が会社を去ったとき、きっとすぐに音を上げるだろう…そう思っていた人は少なくないような気がします。
でも残念、僕はまだ生きています(笑)
そして、まだまだこれから楽しいことをたくさんやっていきますよ。

犬の記事を別ブログに移動してしまったので、このブログの今後の扱いをどうしようかと考えていたのですが、せっかく勉強したり本を読んだりセミナーを受けたり、プロのカウンセラーのカウンセリングを受けたり…というこれまでの経験があるので、しばらくの間は心理学関連の記事を書いていこうと思っています。
すぐにネタ切れになる可能性もありますが、どうかお付き合いいただきたく存じます。

J.Takagi

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ

0 件のコメント: